gem config で定数を書き換えてしまった話
Ruby使いの方々にとっては至極当然なのかも知れないが、gem configで読み込んだSettingsの定数値を書き換えてしまい詰まった。
gem configを使って定数を読み込んだ際、てっきり都度YAMLを読み込んでいるので定数は不変(immutable)だと思い込んでいた。
しかし、下記のようなコードを書いてしまうと内容が変更される。
# settings/development.yml blog: title: 'ねむい' author: '黄色' ############################### # bundle exec rails c -e development title = Settings.blog.title puts title #"ねむい" title.delete puts Settings.blog.title # nil
Settingsはファイルから値を読み込んだら、解放されるまでメモリにキャッシュされるっぽい。
普通に考えれば、毎度ファイルアクセスが発生してたら遅すぎて致命的だから当然か。
7年ぶりのアストラエアの丘
7年ぶりにアニメ版『ストロベリー・パニック』を見たいんですが、懐かしいですねぇ。
しかも、懐かしさだけじゃなくて、花織さん関係のシーンは当時よりもより辛く、切なく映りました。
静馬様が部屋を荒らして血を流しながら暴れるシーンや、花織様の手紙のシーンはボロボロ泣きながら見てましたね。
アニメを見ながら泣く機会がここ2年くらいで急速に増えましたね。
今まで何も考えなしに生きてきたのが、ここ2年くらいで色々あったからでしょうか。
それはさておき、この作品は甘いだけじゃなくて辛く切なく重い。
改めて、非常に百合作品らしい百合作品だなと感じました。
百合にハマってから色々な百合作品に出会いましたが、私にとって『ストロベリー・パニック』は故郷のような、安心感があります。
私の中の百合好きとしての基礎、原点の1つです。
なので、定期的に見直しては、夜々ちゃんや要様、深雪様、玉青ちゃんの気持ちに触れて自分の中の"百合"を見つめ直していけたらなと思います。
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1ヶ月働いて感じたこと
挨拶
どうも、黄色です。
色々あって先月あたりから正社員になって働き始めました。
正社員のは初経験でしたから、働く中で戸惑った事や失敗した事が色々とありました。
今回はそれを記事として残そうと思います。
目次
- 考えるな、教わるんだ
- 教わるな、考えるんだ
- それは誰のもの?
- 計画、完遂、いずれもマッハ
- まとめ
考えるな、教わるんだ
考える前に判断しろよ、という事。
世の中、考える事の重要性は説かれまくっていて私もそれが大切だと思いますが、考える上でもっとも重要なのは「考えて判るか」という判断ですよね。
考えて判るなら考えればいい、そうじゃないなら調べ教わらなければならない。
その判断がもっとも重要だなと気づきました。
考えて判らない事に時間を掛け過ぎて迷惑を掛けるケースが頻発したので、そこの判断を早く確実にしていかなければと思います。
なまじ、考えたり悩んだりするのが癖になっているのが良くなかったですね。
そして判断をするための知識・知恵を蓄積していくのも大事ですね。
教わるな、考えるんだ
「判らない」を「判る」べし、という事。
教わることは簡単ですが、何を教わるのかが明確でなければ、あまり意味がありませんし教える側の時間も無為になりかねません。
問題になっていることで何がもっとも重要なのか、具体的な箇所、理由を考える癖が必要だなと気づきました。
それは誰のもの?
「仕事」の責任を意識すべし、という事。
働き始めてまもない頃は、上司に用意してもらった目の前の仕事を淡々とこなしていたのですが、このところは自分で仕事を見つけて働いてます。
当然、以前よりも時間が掛かるようになり難易度も上がっている反面、仕事を自分がコントロールしている感覚が強くなって楽しくなりました。
"やらされている"という感覚が薄れて自分の裁量が大きくなるとやっぱり楽しいんですよね。
当然ですが、その分責任も重くなるわけで、本当にそれで目的と合致しているのか…といった検証の時間も増えたのですが、それさえも自分で決められるので楽しいですね。
常に自分で仕事を決められる訳でもないので、決められる時はできるだけ楽しんでいきたいです。
計画、完遂、いずれもマッハ
「旅をするように仕事すべし」、という事。
当然ですが、仕事は終わらせないと意味がありません。
そして終わらせるには明確に定義されたゴールが必要です。
ゴールがあればそこに辿り着く手順が見えます。
手順が見えたら、時間がある程度判ります。
時間が分かれば、いつ仕事が終わるか判ります。
仕事を始める前に分析し手順を確認し仕事がいつ終わるのか定義して、それを素早くやる。
これが判ってなかった頃は学生気分が抜けてなかったと思います。
趣味は時間を掛けてもいいですが、仕事は素早くやらねばならないのですよね。
まとめ
働いていて気づいたのは、「状況をコントロールすること」の大切さですね。
判ること判らないこと、できている事できていない事、やることやらないこと。
自分が何をしているのか、何をしたのか、何をしなければならないのか、といった状態の把握とコントロールが個々の知識や技術よりも重要だなと感じています。
そのため、下記の本を読んで状況をコントロールできるようになれるよう練習しています。
ひとつ上のGTD ストレスフリーの整理術 実践編――仕事というゲームと人生というビジネスに勝利する方法
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ここで書いた事は全て大学時代までに身についているべき能力だよな…と思いつつ、身に付いてないもんはしゃーないので「自分の実力以上の事はできない」と考えています。
あと、睡眠時間すごく大事。すごく、大事。
ふともも展へ行ってきました
ふともも写真の世界展
今月の1日に、浅草橋にあるTODAYS GALLERY STUDIOにて開催されている『ふともも写真の世界展』(以下、ふともも展)に行ってまいりました。
ふとももの写真だけが並んだ写真展ということで、どんなふとももがあるのか気になり行ってきました。
一言で感想を言えば、とにかく期待以上の凄さ。そして素晴らしさ。
ふとももが好きな方も、そうでない方も一度足を運んでみてください。
圧縮されたふとももの魅力
この展示の写真を見て感じたのは、「ふとももって、こんな表情するんだ!?」という驚きでした。
ふとももの知っている表情も未だ見ぬ表情も、飾ってある。
ふとももに関してありとあらゆる表情の写真がそこにはありました。
机に座って裏腿が潰れて肉が横に広がったふともも。
階段を登るために片足を上げた時の張ったふとももと、やや肉を余らせたふともも。
椅子からはみ出たふともも肉と、それを抓ったふともも肉。
うつ伏せに倒れた姿勢から手でそっと押し込まれたふとももの裏。
ふとももの弾力が、柔らかさが、靭やかさが、光沢が、テリツヤが、水を弾いて光るさまが、飾られていました。
- ふとももにピンポン玉とテニスボールを挟んだ時、ふとももはどのように変化するか。
- 座った時、立った時、横になった時、ふとももはどう伸びるか、どう潰れるか。
- 水を弾き、光で照らし、膝を曲げ、時にはアヒルを乗せて表現されるふとももの曲線。
- 三角座りをした時、ふとももはどう変形して体重を受け止めるのか。
- 立ち上がる時、どのように筋肉は動きふとももの形が変わるのか。
- 時にはけん玉で裏腿を突いて裏腿の肉の沈み方を魅せ、ある時はビニールを被せ曲線を魅せる。
- 黒ストで持ち上がったふとももの肉、机に寄りかかった時の裏腿と尻の肉の境界のライン。
これらが写真展の写真には詰まっていました。
魅力を引き出すプロの写真家のワザ
ふともも展の写真を見た時、プロの写真家の凄さを痛感しました。
ゆりあさんは、ここまでふとももの魅力を理解し、そして引き出す方法まで熟知している。
ふともものここの魅力を引き出し撮るには、こういう場面でこういう事をさせなければならないと、判っている。
こんなにふとももが色んな表情を持っている事も、それを引き出す方法を知っているカメラマンが居ることも私には驚きでした。
おわり
入場料が500円で、超ハイクオリティの写真が何時間でも見られる。これは本当に凄い事ですよ。
2時間ほど会場に居ましたが、全然時間が足りませんでした。1枚見るのに5~10分くらい掛かりますからね。
関東近郊にお住まいの方は、ぜひとも足を運んでみてください。
退学エントリ
色々書いたけど、気分悪くなったから2行だけ。
研究以外もいろいろあるよ。
祝卒業
先日、竹原市にて行われた竹原南高校の卒業式に参加してきました。
直接会場に入ることは叶いませんでしたが、自分的にフォーマルな格好をして、心は会場にいる気持ちでした。
卒業式に参加している時の私は、ずっと父親みたいな気持ちで、作品が、キャラが、よくぞここまで大きくなったな…という気持ちでした。
卒業証書授与で、名前を呼ばれた時に体育館に響き渡るまっすぐな返事、素敵な仲間からの祝辞、豪華な演奏、そして最後の挨拶。
どれも、キャストのみなさんが一生懸命に作品作りをしてきたからこそ与えられたものだと思いますし、スタッフの皆さんもそれを本気で祝福していてとても幸せな時間でした。
さらに、式の途中から和馬さんへの気持ちも強くなり始めました。
主人公4人のキャストさんと、作品のキャラがダブって見えてきた時に、和馬さんに「あなたの娘さんは本当に本当に立派になられましたよ…」と亡き和馬さんに報告したい、労いたい気持ちになりました。
式が始まる前、私は竹原市の郊外呉方面(消防署あたり)の方を散策していたのですが、その時にふと和馬さんについてある事を想いました。
「和馬さんは楓ちゃんに何を残したのだろう」と。もちろんローライS35を残したわけですが、それ以外に何を残したのだろうと。
私は和馬さんが楓ちゃんに"安心"を残したのではないかと感じています。
それは生前楓ちゃんが撮った写真を「大丈夫」と言ってなだめたり、ワガママを言わせたりといった「世界に受け入れてもらえる安心」や、珠恵さんやマエストロやはるみさんや夏目さんを通して楓ちゃんに伝えられた言葉の数々による「見守られている安心」ではないかと感じています。
和馬さんは楓ちゃんが幼いうちに亡くなってしまいましたが、その心や願いはたくさんの人の口から楓ちゃんに伝えられている、その想いが受け継がれて楓ちゃんに届けられているのではないか、と。
そして、卒業式で立派になった竹達さん=楓ちゃんを見ると、和馬さんの願いは無事に届けられて成就されたんだな…とそう思うと目頭が熱くなりました。
以来、アニメの卒業式のシーンで珠恵さんに抱えられたローライが映るシーンに私の中では珠恵さんの横で笑いながら泣いている和馬さんの姿が浮かぶようになりました。
話は卒業式から離れましすが、旧笠井邸に飾られていた夏目さん役の緑川光さんの「あなたにとってたまゆらとは?」という質問に答えた色紙に感動いたしました。
緑川さんは色紙に「託す希望」と書かれていて、これが夏目さんの願いだったのか!と気付きました。
夏目さんは2期9話の時、和馬さんが自分と同じように年を取った姿が見られない事を残念がっていました。
それはきっと、新しい和馬さんの写真が見られなくなって残念、という気持ちもあったんだと思います。
だから、楓ちゃんの写真に和馬さんと同じものを見た夏目さんは、きっと楓ちゃんに「亡くなった和馬さんの分まで写真を撮ってくれ」と希望を内心託していたのではないかと気づかされました。
卒業式には、中島愛さんと坂本真綾さんがいらっしゃってそれぞれ3曲ずつ主題歌を披露していただきましたが、そこで改めて歌の力というものを実感しました。
スピーカーから響いてくる感情、声の圧。熱。
こんなに強く感情が乗った歌を聴くのは初めての体験だったかも知れません。
卒業生でないにも関わらず、送り出されるような気持ちになりました。
加えて、卒業式にて坂本真綾さんが仰っていた「さよならは大丈夫」という話に、私自身も強く背中を押されました。
これまで生活に漠然とした不安を抱えていたのですが、それがふっと軽くなり「きっと大丈夫だ」という安心感に変わりました。
根拠はありませんが、きっと大丈夫、そう考えるだけで不安が和らいでいきます。
実は、卒業式が予定通り終わった後のバスで広島空港に移動しないとならなかったのですが、たまゆらイベントという事で延びに延び、会場を出るかどうか決断しなければならなくなりました。
しかし会場を出るかどうかのギリギリの時間ではまだ東山奈央さんの挨拶が終わった程度で、主役4人のコメントまで達していなかったんですね。
ですから、「主役4人が卒業する姿を見届けなければ卒業式に参加したとは言えない」と決断しバスを見送りました。
今日の宿も明日帰る便も決まってませんでしたが、きっと大丈夫、という想いがあったので不安はありませんでした。
結果的に、卒業式の後の謝恩会に参加できたり翌日竹原を1日観光できたので、この判断は大正解でした。
最後に、竹原という街の懐の広さについて。
商店街でたまゆらの曲を流し、たまゆらのグッズも売り、謝恩会として夜の20時頃まで商店街で騒いでも許してくれ(ていると思う)、たまゆらファンを「たまゆらさん」として暖かく迎えてくれる竹原という街がすっかり好きになってしまいました。
普明閣から見る眺め、朝日山から見る眺め、旧笠井邸から見る眺めも大好きです。
たまゆらのイベントの有無に関わらず、また「憧憬の路」の時に竹原に来ようと思います。竹原市のみなさん、ありがとうございました。また秋にお会いできる事を願って。